僕が、はじめて逗子海岸電軌と出会ったのはいつのことだったろう・・・

 あれは、昭和35年頃、僕がまだ4才位で、親父に連れられて初めて二人で葉山の森戸海岸へ海水浴に行った時、それが最初の記憶に残っている逗子海岸電軌の姿だったと思う。

 こんな書き出しでスタートした「とれいん」1993年5月号から10月号まで6ヶ月に渡る「れんさい企画 逗子海岸電軌・思い出の夏物語」は、NiftyServe 鉄道フォーラム「モデルプラザ」(現在、@nifty 鉄道模型フォーラム)で顔見知りの盲腸線グループ?を隊長・宮津覚氏がとりまとめ、グループZUDENの発祥となるプロジェクトでした。

 逗子海岸電軌では昭和40年前半の小私鉄を舞台にストーリーを展開するため、連載でもパラレルワールドという言葉を使っているように、実際に存在する地名、地形をそのままレイアウトに取り込みました。

 フィクションを中心に据えて車両やモジュールを製作するモデルプロジェクトは、1970年代TMSに連載され大きな反響を呼んだ「87分署」があります。逗子海岸電軌も相当な影響を受けた年代のメンバーが中心。当然、倉持氏など超ベテランモデラーが独自の世界を描き、製品まで出すといった87分署に遠く及ぶものではありませんが、現実とのギャップという点では逗子電軌により身近さを感じていただけるのでは、と思います。

 逗子海岸電軌で目指したものは、以上のようなパラレルワールドの設定の中で読み物としての面白さと、パラレルワールドとしてのシーナリーやストラクチャー、そこで活躍する逗子海岸電軌の車両たち、そして、模型は走らせてナンボという我々の基本的なスタンスにのっとり、実際にシーナリーの完備したレイアウトでダイヤ運転を、それもクラブレイアウトのように個々のメンバーに役割をもたせ、多人数でダイヤ運転を行なうことでした。

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 すでにとれいん誌上でモジュールレイアウトの構成や車両の紹介も行われているので、ここでは誌上では見られなかった建設途上の姿を含め、メンバーの所蔵するスナップから話題を拾ってお届けしたいと思います。

 写真上:海宝駅での交換風景、同時発着はダイヤ運転の醍醐味。
 写真右:清浄寺から森戸・真名瀬・一色海岸方面を望む展望。
     4つのモジュールと3つのサブモジュールで構成されている。

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